語り賢者ごっこ

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私はグリンピースの味を知らない

「食わず嫌い」という言葉がある。

 

 

 

それは、食することなく嫌うという意味であり、非常に人類が意図せず、無意識的に行われる所作であり、特徴だ。

 

 

 

食べる行為を行わずに嫌う、まるで好奇心を押さえ付け、理性の頂点にあるかのような所業。

 

 

 

 

身を滅ぼすかもしれない危険な食べ物を、経験則から意識的に削除し、手を付けない行為。

 

 

 

発音も「kuwazugirai」となるが、同音異義語の「食 was 嫌い」とは異なる。

 

 

 

 

 

ネイティブなアメリカンな方々には難解な日本語であり、説明するときには注意が必要だ。

 

 

「食することを嫌ってた」なんていう、ジャパニーズはある種の近未来的な人類であると、自らの発声によって、象徴する事となる。

 

 

 

「食すること」で生命としての価値を見出す方々にとって、これらの行動や獲物を捕らえ、金を稼ぐための能力が全否定される。

 

 

このジャパニーズにとって、食することは趣味と同じだ。

 

 

 

 

「子供の頃は嫌いだったけど、今はダンス好きだよ」

 

 

このノリと一緒だ

 

 

このノリと同じノリで食を否定された後、肯定される

 

 

 

温度差なんて言葉で説明できたもんじゃない

 

 

 

 

仕事する意味なんぞ、その世界には存在せず、己の「嫌い」の一言によって、生命維持を目指す。

 

 

 

 

苦行だ

 

 

 

 

とんだクレイジージャパニーズの完成だ

 

 

NINJAになるには、これらの所作を身に付け、食欲と言われる欲望に打ち勝ち、己の「正義」を貫く姿勢

 

 

 

クレイジー

 

 

 

 

 

 

しかし、私は平々凡々な人間

 

 

ストレスに弱く、3大欲求の食欲に打ち勝てるほどの悟りを開いてはいない

 

 

開けていない

 

 

無力で強欲な人間だ

 

 

その上、ちっぽけである

 

 

特徴もなく、完全なるクレイジージャパニーズには手も足も出ない

 

 

 

 

 

きっと丸いだけだ

 

 

 

丸い緑の奇妙な物体

 

 

 

 

グリンピースそのものだ

 

 

 

 

グリンピース、単体で登場することも無く、主役を張ることも少ない。

 

単体では役に立たないが「奴ら」は集団で襲うことで、自己の確立をするマメ科の野菜エンドウ

 

 

 

親近感を得た

 

 

絶望のどん底に現れた女神であり、心の中の虚無を取り払ってくれた緑の平和の使者の大群

 

 

グリンピース

 

 

ここまでいけば、味の一つや二つ思い出すのが人間の性

 

 

記憶の中にある、安全そのものの象徴として讃えることができよう

 

 

 

 

 

 

しかし、出来ない

 

 

 

 

奴らを食したことはある

 

 

 

しかし、味が思い浮かばない

 

 

 

何故だろうか、答えは簡単だ

 

 

 

 

昔から丸呑みしている

 

 

 

 

幼少期の記憶から、嫌いであった訳では無いし、食卓に並ぶことはある

 

 

 

 

しかし、丸呑みしていた

 

 

 

全くと言っていいほど味が出ない

 

 

 

出るのは喉を通る感覚、喉越ししかない

 

 

 

グリンピースを、喉越しを味わうために食していた

 

 

 

固形版ビール

 

 

つまりはビール≒グリンピース

 

 

餃子にはグリンピース

 

 

焼肉にはグリンピース

 

 

仕事終わりにはグリンピース

 

 

 

居酒屋行けばとりあえず全員グリンピース

 

 

 

単体では役に立たないが、皆がグリンピースなら、役に立てるかもしれない

 

 

 

チャーハンにすら、のどごしを与えることが出来る

 

 

チキンライスにすら、のどごしを与えることが出来る

 

 

みながグリンピースなら、味気ない日常にものどごしを与えることが出来る

 

 

 

 

世界平和に近付いた気がする